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Black Ash
Isamu Noguchi

初めて自身のスタジオを設立した後、1927年にはグッゲンハイム奨学金を取得。ノグチはパリでコンスタンティン・ブランクーシのアシスタントとして活動し、ニューヨークで初の個展を開催しました。更に中国で筆絵の勉強をした後に日本に渡り、陶芸家、宇野甚松の下で陶土の作品を制作しました。
イサム・ノグチは、彫刻家の仕事とは空間を作り、秩序と意味を与えることであり、芸術はその空間に「消えてしまう」、または環境の一部として周囲に溶け込んでしまうべきであるという信念を持っていました。おそらく、彼の出自(父は日本の詩人、母はスコットランド系アメリカ人の作家でした)が、世界を「ひとつのもの」として見る視点を育てたのでしょう。
イサム・ノグチの類まれなる普遍的な才能は、彫刻作品だけに留まらず、舞台セット、家具、照明、インテリア、そして広場や庭園など多岐にわたる作品に見てとれます。彼の作品は自然の造形物を思わせるフォルムが特徴で、1950年代から今日までのデザイン史に影響を及ぼしました。「私の父、野口米次郎は日本の詩人であり、詩を通して東洋と西洋をつなぐ架け橋のような存在でした。私は詩ではなく、彫刻や造形作品を通して同じことをしたいと考えています。」とグッゲンハイム奨学金の申込書に記しました。
1988年、イサム・ノグチはニューヨークでその生涯を終えました。60年にわたるめざましいキャリアの幕を閉じました。15歳のとき、最初の美術教師に「彫刻家の器ではない」と言われた人物としては破格の、素晴らしい遺産を残した人生でした。